ヨガと仏教では、ともに共通の考え方があり、相互関係があると言われています。
それ故に、仏教が盛衰した紀元後4-5世紀頃に成立した「ヨーガ・スートラ」は、仏教の影響を受けているとされています。
また、8世紀に活躍したヴェーダーンタ哲学を唱えたインド最大の哲学者シャンカラは、仮面の仏教徒とも呼ばれています。
そのヨガと仏教が、共通して唱えていることは、魂の視点で観ると、この世は「遊び場」であるとしていることです。
毎日、生活に追われ、人間関係に疲れている現実に直面していると、決してこの世を、「遊び場」として考えることが出来ません。
しかし、サンスクリット語で「リラ」とは、遊びを意味しており、ヨガ哲学では、この世を「リラ」としています。
また遊戯という言葉は、本来仏教用語で、遊戯を「ゆげ」と発音して、この世は自由に遊び戯れる世界としています。
どうしてこの世が、「リラ」や「遊戯」となってしまうのでしょうか。
それには、条件があって、「私」(エゴ)という視点から見ると、この世は苦しみとなり、「魂」(アートマン)または「無我」の視点から観ると、この世は、遊び戯れる世界となるのです。
○ 苦悩とはどのようなものか
ヨーガ・スートラでは、「苦悩」について、第二章の中で、パンチャクレーシャ(5つの苦悩)として、以下の5つを指摘しています。
1) アヴィディアー(無知)
2) アスミター(自我意識)
3) ラーガ(愛着)
4) ドゥヴェーシャ(嫌悪)
5) アヴィニべーシャ(死の恐れ)
ここで一番理解しなければならないのは、全ての苦しみの最初に発生するのが、「無知」であるというところです。
この「無知」とは、具体的に何を言っているかというと、「魂」(アートマン)に対して「無知」であるということです。
つまり日常の生活の中で、自分がアートマンであることを忘れてしまい、「私」(エゴ)が自分そのものであると考えてしまうことに、すべての苦しみがあるとしています。
それゆえに、エゴの視点で、この世の中を見ることで、愛着や嫌悪を生み、最終的に死の恐れを生み出してしまうのです。
一方、仏教の方はどうかというと、「私」という視点から、この世の中を見ると、「一切皆苦」として、人生はすべて苦しみになると定義しています。
具体的に仏教では、この世を「四苦八苦」としています。「四苦八苦」は、以下のものとなります。
1) 「生」 生きていく苦しみ
2) 「老」 老いていく苦しみ
3) 「病」 病気による苦しみ
4) 「死」 全ては死んでいく苦しみ
5) 「求不得苦」 お金や名誉など求めるものを得られない苦しみ
6) 「怨憎会苦」 恨みや憎しみを抱いて人と出会う
7) 「愛別離苦」 恋人・友人などと別れる苦しみ
8) 「五蘊盛苦」 心身ほ思うよにコントロールできない苦しみ
仏教では、この世の中を「諸行無常」と説き、あらゆるものが変化して、どれとして常にその状態で居続けることはできないないということです。
また、ヨガ哲学でもこの世は、サンスクリット語で「プラクリティ」と説きます。
「プラ」が、「良く」を意味して、「クリティ」が「動く」を意味しています。
つまり、「諸行無常」も、「プラクリティ」も、この世の中は、自分のこころも身体も、そして全ての物が、変化し続けるものであると説いています。
その中で、「私」という存在は、そうした動くものに対して執着することで、様々な苦しみを生んでしまっているのです。
○ なぜ、この世は「遊び」なのか?
こうして見ると、苦しみの連続のような世界を、なぜ「遊び」として捉えることができるのでしょうか。
それは、ヨガ哲学で言うと、自分の意識状態を、「無知」から「知恵」の状態にする必要があるということです。
つまり、自分の本質が「エゴ」であるとの認識を改めて、自分の本質が「アートマン」であることに気づくことが必要です。
そうすることによって、体験すること全てを「エゴ」の視点から、「アートマン」の視点に変化させることができるのです。
この視点の違いが、非常に重要です。
では具体的にどのような違いになるかと言うと、丁度皆さんが映画館に映画を見に行くことを、思い浮かべれば簡単です。
映画では、様々な感動や驚き、悲しみ、絶望、喜びなど、様々なことが体験できます。
時には主人公は、悲劇のヒロインかせもしれません。
絶望的な人生を歩みながら、生きていく姿が、スクリーンに映し出されるかもしれません。
しかし、どんなに悲惨な内容でも、どんなに怖い内容でも、全ての人が、映画を楽しみに映画館に向かうということです。
同じように、我々一人一人も、「私」という主人公が、人生という映画で、様々な体験をしているのです。
そして、その人生を、アートマンまたは魂は、観客席に座って、静かに鑑賞しているのです。
「プラクリティ」が「私」の居る世界だとすると、「プルシャ」とは、真実の世界を示し、「アートマン」の居る世界を表します。
そしてプルシャは、プラクリティの展開が作り出す現象世界を観照していると定義します。
プラクリティの展開が、映画館のスクリーンであり、スクリーンを観ているのが「アートマン」です。
その関係性の謎が解ければ、誰もが映画館で映画を楽しんでいるように、自分の人生そのものを、どんな状況になろうとも、観客「アートマン」として、楽しむことができるのです。
しかし、自分自身が映画の俳優そのものになってしまったら、決して人生は楽しみどころではなく、その様々な感情と一体となり、苦の連続となってしまうのです。
それ故に、アートマンまたは魂の視点に立ち、自分自身の人生を観ることで、何者にもとらわれずに自由自在な存在となり、この世は「遊び」となるのです。
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