ヨガ哲学とシェークスピア


「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ。」

 ハムレット 第三幕より

 
シェークスピアの有名なハムレットのセリフに、「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」とうフレーズがあります。

このあまりにも有名なセリフに関して、ヨガ哲学的な観点で見れば、現在の一般的な訳は、誤訳であることに気づきます。

シェークスピアの考え方とヨガの哲学は驚くほど共通点が多いので、ヨガの哲学の視点がなければ、その本質を理解することができません。

 
インドのヨガ哲学とシェークスピアの作品は、時代も環境も場所も全く異なったところで生まれていますが、その両者に非常に多くの共通点が見られます。

 
なぜ共通した考えがあるのかと言うと、「人間はいかに生きるべきのか」ということを、この両者はとことん追求した結果であるからと言えます。

「いかに生きるべきか」という問題は世界全体で共通のテーマで、その根本的な考え方は、基本的に同じです。

この世は1つの舞台

「お気に召すまま」という作品で、シェイクスピアは、この世を1つの舞台として、表現しています。

「この世は、1つの舞台であって、すべての男女は、その役者に過ぎない。

 それぞれ舞台に登場してはまた退場していく。人はその時々いろいろな役を演じる。

 舞台は年齢によって7幕に分かれているのだ。」

 
ヨガの考え方では、「私」という意識は、「サムスカーラ」という前世からの過去の印象によって、作られたものと考えられています。

そして、自分の本質である「アートマン」という存在は、「私」という存在が、この世で演じているのを、静かに観察している監督のような存在です。

ですから、「私」は役者のような存在であり、あくまでも、一時的な存在なのです。

しかし、「私」が存在している世界で、「好き」とか「嫌い」に拘り過ぎて、その両極端に執着してしまうと、人生の目的を見失ってしまいます。

なぜならば、ヨガ哲学でこの世は、相対的な価値観で生み出されている幻想「マーヤ」であるとしているからです。

 
シェイクスピアも、ハムレットの中で、生きる目的を次のように説いています。

「何であれやりすぎれば

 芝居の目的からはずれるからな。

 芝居が目指すのは、今も昔も、いわば

 自然に向かって鏡をかかげ、美徳にも

 不徳にもそれぞれのありのままの姿を示し、

 時代の実態をくっきりと映し出すことだ。」

 
芝居の目的を、人生の目的として置き換えれば、シェイクスピアも同じように、相対的価値の両極端に陥ると、人生の目的を見失うと説いています。

 
ヨガ哲学を、サンスクリット語で「ダルシャナ」と言い、それには2つの意味があります。

一つには、「真実」を探求すること。

そしてもう一つは、「実在」を知るための手段ということになります。

そして、「真実」を探求するには、シェイクスピアが言うように、自然に向かって鏡をかかげ、ありのままの姿を観ることが大切なのです。

 
普段の「私」の意識は、様々なことに執着しているので、なかなか世界をありのままの姿で観ることができないのです。

しかし、それは芝居の目的から外れてしまうと、シェイクスピアは言っているのです。

それ故に、芝居の目的(人生の目的)は、ありのままの姿をくっきりと映し出すことであると言っているのです。

自分の偏った価値観で、この世の中を生きてしまうことに対して、ハムレットは次のように言います。

 
「そもそも客観的な善悪などない、

 主観が善悪を作るんだ。

 俺にとってはそれが牢獄だ。」

 
つまり、「私」が創り出す善と悪という相対的世界は、元々自分の主観が創り出したものであり、それが自分を束縛しているのだと言っているのです。

自己束縛からの解放を、ヨガ哲学ではサンスクリット語で「ジバムクティ」といいます。

「ジーバ」がエゴを意味して、「ムクティ」が解放すると言う言葉から成り立ち、自己解放を意味しています。

シェイクスピアも、ヨガ哲学も、エゴが自分を束縛していると考えている点は、完全に一致しています。

 

「実在」を知ること

日本語で翻訳されている、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」というフレーズは、原文の英語では、以下のように表現しています。

“To be or not to be; that is the question”

英語での”be”動詞の意味は、そもそも「いる」とは「ある」という意味です。

ですから、”To be”とは、「実在している」ということになります。

ヨガ哲学では、「エゴ」が創り出している過去や未来は、実在しない幻想であり、真実は今現在のありのままの世界であると定義しています。

つまり我々は、過去や未来に意識が向いて、そこに執着している限り、現実の実在の世界には居ないで、幻想の世界にいるのです。

その為、ヨガ哲学である「ダルシャナ」のもう一つの意味が、「実在」を知るための手段であり、それが真実に辿り着く唯一の道なのです。

同じように、シェイクスピアもハムレットの中で、ありのままを観ることで「実在」を得られ、主観が創り出す世界は「非実在」であり、それは「牢獄」であると言っているのです。

それ故に、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」は、完全な誤訳となります。

シェイクスピアの意図を理解した上での日本語への翻訳は、次のようなると思います。

今現在に意識を置いて、自分が実在の世界に居るのか、または、過去や未来に意識が行ってしまい、自分の意識が非実在の牢獄にいるのか、それが問題だ」となります。

このうよに考えると、我々は日常生活の中で、どれだけ「実在」に居るのかが、非常に問題であることに気づきます。

 
ヨガでは、心の状態を以下のように分類しています。

・クシプタ 落ち着きのない心   活動的かつ情熱的  ラジャス

・ムーダ 惑わされた心      不活発、沈滞、無感応  タマス

・ヴィクシプタ 散漫な心     タマスとラジャスの相互作用

・エカーグラ 一点集中の心    明晰さ  サットバ

・ニローダ 止滅の心       グナからの解放

 
そして、シェイクスピアが言うように、ありのままの現実に意識がある状態とは、「今」という一点に集中した心の状態である「エカーグラ」と言うことになります。

ヨガではポーズの練習をしながら、肉体の状態を感じることで、身体の実在に意識が向き、すべてが明晰になるのです。

日頃我々の意識は、牢獄に囚われがちなので、シェイクスピアは、それが問題であると警告して、「実在」に意識を向けて、意識の牢獄から抜け出ることの大切さを説いているのです。

 
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この記事の著者

ユキオスダルシュナヨガ主宰

ヨガ歴20年、ヨガ指導歴13年。日本で最も有名なアシュタンガヨガスタジオIYCほか、国内著名ヨガスタジオ、スポーツジムにて指導経験を積む。取得した指導者養成資格多数。近年は、ヨガ哲学をテーマにワークショップを数多く開催する一方、ティーチャートレーニングにて後進ヨガインストラクターの育成にも力を注ぐ。

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