89歳のピアニストに観る「欲望」と「幸福」の関係


ヨガ哲学では、全ての問題の原因が「欲望」であると説いています。
しかし、「欲望」とは一体何なのかを十分に理解しないと、本当の意味でなぜ問題なのかが解りません。

なぜなら一般的には、「欲望」を満たすことで幸せになり、「欲望」が叶わなければ、不幸になってしまうと考えられています。

そうした「欲望」を見事に拒絶して、90歳近くになろうとしているのに、幸せに生きている老ピアニストの映画を、昨年鑑賞しました。

 

○ 89歳のピアニスト

現在、ニユーヨークに一人で住んでいる89歳の老ピアニストは、恵まれた才能があるにもかかわらず、人生半ばにして他人からの賞賛を捨てました。

朝鮮戦争に従軍し辛い経験をして、華やかなクラシック音楽のステージとは裏腹に、人前で演奏することのプレッシャーに耐えかね、演奏家としての道を自ら絶ちます。

そしてそれ以降、家族も持たず57年もの間たった一人でワンルームに住み、後進のピアニストの育成に身を捧げる選択をしました。

ここまで読むと、人生に背を向け、幸せを拒絶しているような生き方のように見えますが、シーモアさんは実に素敵な笑顔をたたえ、幸せに満ちた表情を浮かべます。

 
seymour

 
クラシック音楽の演奏という仕事は、曲を深く掘り下げ、作曲家の意図を感じとり、それを表現することが演奏する際に要求されます。

その為には、自分の内面に向き合い、内側からのインスピレーションを感じることが必要になります。

しかし一方で、その演奏は絶えずコンサートに来る評論家や聴衆の、評価にさらされることになります。

そうすると自分の内なる欲求と、評論家や聴衆の欲求が一致すれば良いのですが、しばし相容れないことが良くあります。

私も実際に様々な演奏を聴きますが、有名な音楽評論家が酷評している演奏のCDを聴いてみると、素晴らしい名演奏である場合がしばしばあります。

そのように評論家の評価や聴衆の人気は、その場限りのもので、決して本来の価値を示しているものてはありません。

その為演奏会を前にして、誠実なクラッシク音楽の演奏家は、そうした外部の評価に対して、激しいストレスと自己矛盾に苦しむことになります。

この映画で紹介されているグレン・グールドもその一人で、30歳代の絶頂期にコンサートを拒否して、以後コンサートを行わず全てレコーディングのみ発表する形式をとりました。

そして、この映画の主人公であるシーモアさんは、現役を引退して、自分の人生の後半を全て後進のピアニストの育成に捧げます。

その選択が正解であったことは、この映画から89歳にして柔和な笑顔で元気に仕事をしている様子を観て、感じ取れるでしょう。

 
その彼は、自分の人生を振り返った時、次のように語っています。

 
自分の心と向き合うこと、

シンプルに生きること、

成功したい気持ちを手放すこと。

積み重ねることで、人生は充実する。

 
一見欲望とは正反対に見える、「シンプルさ」と「手放すこと」は、本当に人生を充実させる上で、最も大切なことに違いありません。

しかしながら、一見簡単そうにみえるこの2つの事を実行するには、それなりの人生経験が必要になってくるかもしれません。

 
また、映画の中で実際に若手ピアニスに対してレッスンする場面がありますが、とても90歳近くの老人とは感じさせない、音楽に対する深い情熱を漂わせていました。

しかも、曲に対する深い造詣と理解から来る適切な指導には、驚異的なものを感じました。

シーモアさんは、そのエネルギーがどこからやって来ているか、次のように語りかけます。

 
誰もが皆、人生に幸せをもたらすゆるぎない何かを探している。

聖書に書いてある――救いの神は我々の中にいると。

私は神ではなく、霊的源泉と呼びたい。大半の人は、内なる源泉を利用する方法を知らない。

宗教が腹立たしいのは、答えは “我々の中にはない” と思わせていること。答えは神にあると。

だから皆、神に救いを求めようとするが、救いは我々の中にあると私は固く信じている。

 
そしてヨガの哲学も、シーモアさんの見解と同じように、全ては自分に内在している「サット(真実)・チッタ(意識)・アーナンダ(喜び)」にこそ、真の幸せがあると説いています。

 
つまり、一般的な「欲望」とは、自分の中に不足感を感じることにより、不足感を自分の外側の要素である、お金や名声や賞賛によって穴埋めしているに過ぎません。

そして問題なのは、欲望の根本原因である「不足感」の存在です。

 
本当の宝物は、自分の外側にあるのではなく、実は自分が既に持っているものであることに気づくことが大切なのです。

 
シーモアさんは、ヨガを実際に行っておりませんが、苦難な人生経験を通しで、ヨガの本質にたどり着いたということでしょう。

 
その意味で、ヨガの練習によって、苦難な人生を歩まずに、内なる宝を得ることができると言うことは、なんと素晴らしいことでしょう。

 
表面的な派手さや人気と、精神性の深さは、全く一致することはありません。

これはヨガインストラクターにも言えることです。

 
予告編の最後で、シーモアさんが語る言葉に非常な重みを感じます。

 
映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』予告編


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この記事の著者

ユキオスダルシュナヨガ主宰

ヨガ歴20年、ヨガ指導歴13年。日本で最も有名なアシュタンガヨガスタジオIYCほか、国内著名ヨガスタジオ、スポーツジムにて指導経験を積む。取得した指導者養成資格多数。近年は、ヨガ哲学をテーマにワークショップを数多く開催する一方、ティーチャートレーニングにて後進ヨガインストラクターの育成にも力を注ぐ。

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