○個人情報の管理と日本の社会
政府によるマイナンバー制度の導入によって、国民一人ひとりの様々な情報の政府による管理が進んでいます。
しかしマイナンバーが無くても、買い物や旅行など日常生活の中の様々な場面で、身分証明が求められています。
自分のパソコンでも、ログインする時に自分のパスワードを入力したりします。
私は現在、金融関係のコンビュータシステムの仕事に携わっていますので、サーバーにログインする時、「静脈認証」を求められます。
「静脈認証」とは、人差し指の静脈の形状は、指紋と同様に皆一人ひとり違っており、しかも指紋のように外から形状をコピーすることができないので、最も信頼生の高い個人の認証方式のことです。
このように現代社会では様々な方法で、個人の特定が高度な方法で進められています。
しかし、どんなに高度で複雑な手法で個人を特定したとしても、「私は誰なのか?」という根本的質問に答えることができるでしょうか?
○自己認識と他者との比較
あなたは通常「あなたは誰ですか」と人から質問された時、一般的には「自分の名前」や「職業」や「自分の所属している会社名」を言って、自分の証明をするでしょう。
しかし、自分の証明するもの全てが、自分以外の要素によって成り立っていることを、多くの人は忘れています。
いくら自分の会社や職業やマイナンバーなどを使って、自分であることを証明しようとしても、それらは自分そのものではありません。
このように自分以外の要素は、まるで玉ねぎの皮のように何重にも重なっていますが、それらを一つ一つ剥いていくと、中心には何も無いことに気づくはずです。
この真実を大半の人は直視することはしないで、せっせと玉ねぎの皮を集めて、自己を確立しようとしてます。
しかし、そうした玉ねぎの皮は、自分と世界を分断して、自分自身を束縛させて、自分に流れてくる素晴らしい宇宙エルネギーを遮断させてしまいます。
○生きる目的を知る
ヨカの根本経典である「ヨーガ・スートラ」の中に、サンスクリット語で「アパリグラハ」とい教えがあります。
それは、自分の中にある無限に増えていく「所有欲」を抑えること説いています。
現代社会のように「物」が溢れている社会では、この「アパリグラハ」の教えを実行することは中々難しいです。
しかし、経典ではこの「アパリグラハ」を忠実に実行することで、「生きる目的」を知ることが出来ると説いています。
では、なぜ所有欲を抑えることが、「生きる目的」を知ることにつながるのでしょうか。
アメリカの研究で、金持ちになるほど、他者のと共感する意識が少なくなり、孤独になる傾向があると言っています。
大通りで身体が不自由な人が横断しようとして、どのような自動車のが止まるか実験をしたところ、高級車になればなるほど止まらず、一般大衆車の車ほど止まる傾向があることが判ったそうです。
通常、人は様々なものを所有して、それらを持つことを通じて、自己認識します。
シャネルのバックを持つことや高級車に乗ることで、自分は立派な人間であると錯覚していきます。
しかし、それらのすべて物は、結局のところ「玉ねぎの皮」であり、自分と宇宙を分断させる空虚なものでしかないのです。
その真実を忘れて、多くの人が自らの所有欲を増大させて、自己を見失い、自分の目的を見失っていくのです。
それ故に、ヨガでは所有欲から来る「玉ねぎの皮」を集めることを控えることが、「生きる目的」を知ることにつながると説いているのです。
つまりそのことが、他と比較対象することなく唯一存在している、「本当の自分(アートマン)」へ至る道でもあるのです。
自分の本質とは、自分以外のものに依存すること無く、ただただそこに在る存在なのです。
そしてその在る存在は、肉体がある前から存在して、肉体が無くなった後も存在するものなのです。
その存在こそが、「究極のIDカード」と言えるでしょう。
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