自由気ままな生き方とは?

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ヨガのことを中途半端に理解すると、かえってわがままになってしまう場合があるので、注意が必要です。

私は、長年ヨガに携わってきて、そのようになってしまう人々をある程度見て来ました。

一見、ヨガ的な生活をしているように見えますが、実は自己の束縛を、深めてしまう人がいるのです。

 

○ 自由気ままな生活の間違い

ヨガに接することによって、自由な生活をしようとして、自分が束縛と感じる仕事や、やるべき事・面倒な人間関係から、逃避してしまう場合があります。
 
そして、自由きままな生活を送り、何事も適当に、あいまいに生活することで、束縛から離れていくと勘違いしてしまう場合があります。

そうした環境に身を置くことで、何でも自分の思う通りの生活に近づくと、考えてしまいます。

そうした場合の「自分の思い通り」とは、エゴの思う通りであり、決して自由になっているのではないのです。

しかし、自分に対して注意をしたり、批判したり、衝突しない環境だと、自己を振り返る場が無くなります。

その結果、大抵の場合、そのような人は、ワガママでエゴの強い人になってしまうパターンに陥ります。

一見自由きままな生活に見えますが、そうした生活は、自己を見直す場を失うことになってしまいます。

それは、ヨガをする上で、致命的な問題となって、理想的なヨガライフから、道を踏み外してしまいます。

自分は、他者との関係性によって、初めて認識できるものです。

その他者との関係性とは、様々な摩擦が生じるものです。その摩擦は、自分と他者との考え方や意識の相違から生まれます。

そして、その摩擦によってこそ、自分の意識や考えが浮かび上がって、認識されるのです。

つまり、そうした摩擦をより多く経験することによって、人は「自分とはどのような存在なのか」を、初めて知ることができるのです。

 
子供の童話に、「裸の王様」のエピソードがあります。

自分の周囲が、何も摩擦なく、すべてイエスマンの人に囲まれてしまうと、自分を見失ってしまうのです。

つまり、自分にとって耳の痛いことを言ってくれる人が、実は自己を成長させて行く上で大切な人なのです。

その為、そうした人たちとの交流を避ることは、自由になるのではなく、自分を見失い、エゴの束縛を外す機会を失うのです。

 

○ 厳格な決まり事の大切さ

精神的な悟りを目指す、禅寺での生活は、生活全般にわたって、非常に厳しい決まりごとによって、成り立っています。

とくに、食事をする時の作法やお経を読み上げる所作など、事細かにしきたりがあります。

悟りとは、自分の束縛である業を解き放つものであるにもかかわらず、生活全てが決まりごとに縛られている禅寺の生活は、一見矛盾しているように感じられます。

また、ヨガの流派で、アシュタンガヨガは、ポーズの順番から、呼吸の数や視線の位置まで、全て厳格に決められています。

同じように、世界的にも一流と認められる野球のイチロー選手は、試合当日に野球場に入ってから、自分の練習メニューやバットを置くまで厳格に決められていると言われています。

なぜ、精神的な修行をしたり、一流の人たちは、こうした決まり事に、拘るのでしょうか。

何事も、ヨガを中途半端に理解した人たちが言う、何事も適当にあいまいにする生活とは、全く真逆な生活様式です。

 
その理由は、自分の勝手気ままなマインドをコントロールするには、こうした厳格な決まり事を行うことが、必須であるからです。

 
自分独自の思考パターンや物の見方は、 型にはめ込むことによって、初めて壊すことができるのです。

 
自分独自の考えというものは、過去の自分の経験によって、 生み出されたものであります。

 
自分の心は、自分が過去に経験した体験を、 自分なりの思考パターンよって解釈して、それに囚われてしまっているのです。

 
ですからそうした過去のとらわれについて壊すことは、自分を何かひとつの型にはめ込むことによって、初めて壊すことができるのです。

日本語には、この精神的な「道」を歩む者がたどる工程を、言い表す言葉があります。

 

○ 守・破・離

「守破離」という言葉、日本の伝統芸能や、武士道の中で、受け継がれている言葉でもあります。

それは、自由自在の境地を得るまでには、3つの段階が必要であると説いております。その3つが、「守・破・離」です。

 
1【 守 】ひたすら一つの教えについて、学び守ること。つまり、ひとつのパターンに自分をはめ込むことです。それによって初めて我流というものが修正されていくのです。

 
2【 破 】一つの事を守ることに通じて、その本質を理解することができ、初めてその型を破ることができるのです。つまり日本語で言う「型破り」というものは、あくまでも自分を一つの形にはめ込んだ後に達成できる状態なのです。

 
3【 離 】一つの事柄の本質を理解することによって、初めて全ての事が繋がり、それらを自由自在に使えるようになるのです。この状態なると完全に自由自在の状態となります。

 
物事の本質を理解するということは、非常に抽象度の高い考え方であり、その抽象度の高い視点を得ることによって、我々はさまざまのことを始めて俯瞰して見ることができるのです。

この視点こそが自分の束縛をとる一つの条件となっています。しかし、俯瞰して見るには、自分のこだわりを捨てないと、その境地に至ることはできません。

人は誰でも、こころの中に、自分の因われを持っているので、それを先ず壊さないで、気ままに生活することは、実は完全に自分に囚われた生活になってしまうのです。

その為、ヨガの練習も毎日、同じことを繰り返すことによって、様々な意味で自分の因われから離れることができのです。

その意味で、一度しっかり自分を「型」にはめ込み、その後その「型」を壊すことによって、真の意味で「型破り」の人生を歩むことが、本当の意味での「自由自在な境地」への道なのです。


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この記事の著者

ユキオ

ユキオスダルシュナヨガ主宰

ヨガ歴20年、ヨガ指導歴13年。日本で最も有名なアシュタンガヨガスタジオIYCほか、国内著名ヨガスタジオ、スポーツジムにて指導経験を積む。取得した指導者養成資格多数。近年は、ヨガ哲学をテーマにワークショップを数多く開催する一方、ティーチャートレーニングにて後進ヨガインストラクターの育成にも力を注ぐ。

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