目次
第六条 「ポーズのための練習をするな」
○ポーズは取りに行くな
ヨガの毎日の練習姿勢に関するパタビ・ジョイス師の言葉に、「ポーズを取りに行くな、向こうからやってくるのを待て」というものがあります。
ヨガの練習をすると必ず誰でも経験しますが、今の自分にはできないポーズがあるということです。
その時に大切なのが、そうした状況に対して、どのようなマインドで臨むかが大切なのです。
ヨガはスポーツと違って、上達することが第一の目標ではなく、自分の束縛を解き放ち、自由自在に生きることを目標としています。
このことを忘れると、せっかくヨガの練習をしているのに、出来ないポーズに束縛されてしまい、練習をする意欲すら失ってしまうことになり、本末転倒になってしまいます。
そしてヨガのポーズには、様々な種類がありますが、それらには基礎から練習していく順番があり、その順番どおり練習をすれば、無理なく身体が柔軟になり、次第にできるようになるのです。
ですから、できないポーズにこだわるのではなく、できるポーズをより深く練習すると、ある日 今までできなかったポーズができるようになるのです。
○ヨガの目標は何かになるのではない
ヨガ哲学では、魂のことをサンスクリット語でアートマンと言います。意味は、最高に優れた存在です。
このことから判る通り、人は誰でも自分の中に「最高に優れた存在」を自分の本質として持っているのです。ですから、ヨガでは既に自分が持っている「最高に優れた存在」に気づくだけでいいのです。
しかし、多くの人が間違えてしまう考えに、「高度なポーズが上手にできる立派な自分になりたい」という願望があります。
なぜ間違いかというと、「立派な自分」になる必要はなく、自分の本質は最高に優れた存在であることを見失った発想だからです。
ヨガの練習とは、その「最高に優れた存在」に気づく為の練習であり、その道具としてポーズがあるだけなのです。
ですから、いくら高度のポーズができたとしても、自己顕示欲が高くなってしまい、自分に対する理解が深められなければ、何の意味もないのです。
○自己認識の清涼さから生じる幸福
ヨガでは、この世の性質を3つに区別している「グナ」という考えがあります。その3つとは、「サットヴァ」「ラジャス」「タマス」です。
意味としては、「タマス」は何も行動を起こさず怠惰になる意識、「ラジャス」は目的と結果に執着して行動を起こす意識、「サットヴァ」は結果に執着せず行動に集中して一所懸命にやる意識となります。
「タマス」は自分を変革する事はできず、迷いを深めるものとして戒めるもので、「ラジャス」は行動しているのですが結果に執着しているので現状維持が精一杯、自分を真に向上させるならば結果に執着しない「サットヴァ」です。
世界中で愛読されている聖典「バガヴァッド・ギーター」では、このグナによって得られる幸福を、次のように記載されています。
「サットヴァ」の幸福 → 最初は毒のようで、結末は甘露のような幸福、自己認識の清涼さから生じる幸福。
「ラジャス」の幸福 → 感官とその対象の結合から生じ、最初は甘露のようで結末は毒のような幸福。
「タマス」の幸福 → 最初においても帰結においても、自己を迷わせる幸福。怠惰と怠慢から生じる幸福。
バガヴァッド・ギーター 18章37~39節
毎日のヨガの練習も、ポーズができるできないに執着してしまうと、だんだんと苦しくなっていきます。
しかし、結果にこだわらず練習そのものを純粋に行うと、その喜びは次第に大きな広がりとなって、あなたを抱擁するでしょう。
Youtubeサイトにてクラス映像「ヨガを続ける7つのコツ」をご覧いただけます。
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