現代のように、様々な情報や価値観がある中で、それらに影響されずに生きるのは、とても難しい時代です。
そうした状況で、良く聞かれるのが、自分はいろんな人に影響され、すぐ自分の軸がブレてしまうという悩みです。
ちょとした人の言葉で動揺してしまったり、将来が不安で中々、気が休まることができないといったことは、良く聞かれます。
こうした中で共通するのは、自分の軸がすぐブレてしまうと言うことです。
そうした中で、自分はブレることが無い軸を持ちたいと、考えるかもしれません。
しかし、私はあえて言いますが、そもそも安易に軸など持ってはいけないと考えます。
何故なら、自分の軸を持つ前に、そもそも軸とは何かを、改めて考える必要があるからです。
大多数の人は、安易に軸を持ってしまうから、ブレてしまうという事です。
逆に言うと、そもそも軸を持たなければ、ぶれようがないということです。
つまり色々な面でぶれてしまう人は、簡単にぶれるような軸を持っているからそのようになるのです。
そうした場合の軸とは何かについて、改めて考える必要があります。
そのような場合の軸とは、人からの評判、社会的な肩書き、自分の財産あるいは自分の所有物と言った事を、軸にしてしまっているのです。
しかし、そうした不安定なものに対して、軸を持つからこそ、ブレてしまうのです。
そのようなことを考えると、私は達磨さんの話をよく思い出します。
達摩(ダルマ)とは、インドの僧侶であり、中国に禅を広めた人物です。
中国にやって来た達摩は、当時その中国を治めていた皇帝と会うことになりました。
その当時、中国を統治していた武帝(ぶてい)が、インドから来た達摩に会った時、次のように質問しました。
私は様々な仏閣を建立し、沢山の僧侶を優遇して、自ら仏教に帰依しています。
こうした私には、どれほどの功徳が得られるのでしょうかと得意げに、ダルマに尋ねました。
それに対して、達磨は「無功徳」と答えました。
つまり何の功徳も無いときっぱり言い切ったのです。
これはどういうことかと言うと、そもそも何かを期待して、仏教の修行をしたり、善行をし、それによって自分が何か功徳を得ようとしても、何も得られないと喝破したのです。
これは、ヨガで言うところのカルマ・ヨガです。
行動の結果を目的するのではなく、純粋に行動することで、心の平安が訪れるという事です。
達磨さんに、このように言われ、武帝は非常に不愉快になり、次のように問いました。
そんなことを言うあなたは、いかなる存在なのですかと質問しました。
それに対して達磨さんは、「不識!」(そんなこと知らん)、つまりそんなことを知らないと答えたのです。
これはどういうことかというと、そもそも自分という意識は、形のあるものではなく、実体のないものであり、私は何者でもないということを示したのです。
このことから、本当の軸とは、どのようなものであるかが理解できます。
つまり、全てのものを捨て去り、自分には何も持つものは無いと、確信を得た時こそ、本当の軸というものが得られるのです。
本当の軸とは、一切の執着を外したときに、忽然と自分の内側から現れるものであり、自分の外側に探しても、決して得られるものではありません。
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